我が家の猫物語

寒い雨の一日、明日は旅のファッション撮影がありますので、何にしようか考えながらも、我が家のニャンコの歴史を紐解き始めました。
どの猫とも想い出は尽きません。
息子たちがまだ小さな頃からの様々な猫との生活、家族皆でその日々を感動しながら過ごし楽しんだのでした。

まず初めの猫は、姉が連載していた本の編集長が二匹は無理なので、ブルーペルシャの子どもを手放したいとのことで(一匹だといたって静かだが大きくなってきて鬼ごっこの足音で苦情がきたらしい)、1976年の晩秋のある日、五カ月の男の仔を新宿西口の改札口にいただきに行きました。
籠に入ったその姿、ホワンホワンとしたグレーの縫いぐるそのもの。
信じられない愛らしさ!
血統書の正式な名前は「ラブラブアンドレイ」。
いつもはアンディーとよび、時として、アンドレ・ルタコちゃん、アンドレりーナ、アンドレ・ドンドと呼びました。



始めはこんな感じ
私は当時パッチワークも熱中していましたので、板絵の背景はカーテンに使っていたヨーヨーキルト。可愛いから2匹描きました。



アンディーはみるみる大きくなり成猫となり、初めは綱をつけて飼いましたが、かなり離れた友人の家に預けた時そこから道路を渡って我が家まで帰ったことがあり、それいらい綱なしのフリーな生活となりました。当時去勢手術はかわいそうとしませんでした。
こうして絵本にして日々の様子を切り取ったものを見ると、当時のことが蘇ります。
大好きなものを描いたページですが、春の昼間は疲れて寝続け、夕方になるとむっくり起きて、カボチャ、生卵、マグロなどを食べて、恋人のもとに通いつづけました。
今見ると、カボチャに海苔、煮干しにマグロの血合い、豚マメにチーズに生卵、トウモロコシにあんころもちですので、びっくりです。



ブルーペルシャ猫の柔毛のやさしい翳り、麦藁のような匂い。
朝、ベッドに寝ている私の胸に乗って、ツメを伸ばしたり縮めたりしながら、喉をならし、何かを訴えるようなまなざし。
庭のどこかに寝ていても、
「アンディー」と大声を出すとものすごいスピードでとび帰るさま。
台所仕事をしていると、そばにきてニャっと短く鳴いて私のスカートの裾をひっかき、じっと待っている様子、
5.5キログラムもある体を抱きしめると、ググっと変な音をたてながら、身動きもしないでいた(『猫に見せたい本』1979年 誠文堂新光社刊の私の原稿より)



冬になると両頬に白い毛が生えてきました。
ラブラブアンドレイ・サンタクロースです。



早くお嫁さんをと雌の仔猫を拾ってくると、まだ500gしかない仔猫とすっかり仲良くなって、鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり楽しそうだ。このままでいったらうまく行くかなと思っていたら、グリーンとブルーの目をしたこの白猫チビちゃんは、誰かにつれて行かれてしまった。あちこち捜すアンドレイ・・・。


1977年にはクロワッサン誌の壁掛けコンクール、題名「花」に応募すると、「黄金の針賞」を受賞し、俄かに生活が変化してゆきました。
この時のアンドレイの写真は後日。



1978年お正月のアンディーと家族の記念写真。(続く)