世界遺産 奈良の吉水神社


4月13〜14日、京都&奈良・桜を見る旅に出かけました。
13日は奈良駅隣りのホテルに泊まり、吉野山の千本桜を観に出かけました。
二回目の訪問です。
前回は早すぎたので、今回は遅めに設定。
もう少し前の方が良かったかもしれません。
フりータイムは3時間でした。
雨が降り始めました。
霧がかかり始めたなか、ケーブルカーがすれ違っています。



吉水神社に向かいました。



吉水院庭園(名勝)
パンフレットによりますと、
豊臣秀吉が吉野の大花見をした時に、吉水神社(旧吉水院)は花見本陣になりました。
この花見に際して、秀吉みずから基本設計を行った庭園で、安土桃山時代の華やかさを今に伝える「桃山時代」の日本庭園です』
とのことで、庭園に興味のある私には、素晴らしいサプライズでした。
以下、パンフレットによる資料を参考に書かせていただきます。




日本住宅建築史上最古の書院として、ユネスコより世界遺産として登録された書院では、様々な文化財や宝物が公開されていました。

義経静御前 潜居の間は、室町初期の改築で、床棚書院の初期の様式を伝える遺構です。
兄頼朝の追手に追われて、義経静御前は弁慶などとともに、この吉水院に隠れ住まわれたのでした。
この先は女人禁制の地。
泣く泣く別れた二人でした。

吉野山 峯の白雪踏み分けて
   入りにし人の 跡ぞ恋しき」  静御前


秀吉が修理した後醍醐天皇玉座の間は、桃山時代の特徴を残したものだそうです。



義経の鎧(重要文化財
とても小さな人だったようだ。 




手前は静御前の鐙。




弁慶の七つ道具のうちの武装槍。
ここで、こうしたものが見られるなんて思いもしなかった。




文禄三年(1504年)太閤(豊臣秀吉)が、この吉水院を本陣として盛大な花見をし、数日間滞在。
歌の会、お茶の会、御能の会などを開いて、天下に権勢を示したのでした。





秀吉愛用の金屏風は、狩野永徳の筆によります。




延元元年(1336年)後醍醐天皇は京から吉野に御潜幸し、この吉水院を南朝の皇居としたのでした。
南朝四代57年の歴史が始まったのです。
そのため吉水神社には、後醍醐天皇の御物が多くあり、こうして拝観できるのです。
カメラはOKでした。
これは、蝉丸の琵琶。後醍醐天皇の所持されていたものです。
左は秀吉公寄贈の青磁の花瓶です。




素晴らしい文化財や宝物を見せていただきました。
お礼の気持ちで瓦一枚寄進してまいりました。

◎今回は吉野山に行く途中、歌舞伎の『壺坂霊験記』の舞台になった、眼病に霊験あらたかな
観音様の地区を通ったり、吉水神社では、義経静御前、弁慶が登場したりで、歌舞伎鑑賞するものにとっては、とても勉強になる良い旅ともなりました。