イタリアの旅・・・5 ウフィツィ美術館(3の2)

ウフィツィ美術館での美術鑑賞は、ガイドさんの案内のままに進みました。
その中から引き続きピックアップして、順序のままに、
最初の時に購入した1988年ボネキ出版社の「ウフィツィ美術館」やガイドさんの説明も参考にさせていただいて、感想など述べたいと思います。
時間のない方は絵のみご覧くださいね。

レオナルド・ダ・ピンチ作 「受胎告知」1470年頃
2007年東京で展示された作品。

科学者、発明家、土木建築家、音楽そして文学を含む総合芸術、
そのすべてに秀でていたルネッサンス時代の万能の人、レオナルド・ダ・ピンチ。
天使ガブリエルが舞い降りて受胎告知。そこには聖母マリアの象徴、マドンナリリーが描かれている。
若い聖母マリアの額を出した慈しみのある表情。頭上には光の輪が描かれています。
赤い衣装と金色の裏地が折り返されてみえる青いマントのドレープの部分も繊細で美しい。
背景のパレスチナの風景には、特色ある糸杉などが描かれている。
地面一面に描かれた野生の花々が興味深い。





特別室全体は「トリブーナ」と呼ばれる。
1585年にフランチェスコ一世の命で、ブオンタレンティが建築した凝った室内装飾マニエリズムの部屋。
部屋は八角形で天井は貝殻模様のクーポラで実に美しい。
16世紀の絵画や古典彫刻が展示され、八角形のテーブルは同時に作られた。
真ん中の像は紀元前1世紀頃の「メディチ家のビーナス」で、紀元前四世紀末のプラクシテレスの作品がモデルとされた。
1680年ティボリのアドリアナ荘で発見されて、1717年にコシモ三世の命により、ウフィツィに運ばれたという。
ガイドさんの話では、ナポレオンがこれを気に入り持ち帰り、いっときルーブルのビーナスと並べて鑑賞していたそうだ。




1533年、後のフランス王アンリ2世に嫁いだ、メディチ家の娘、カテリーナ・ド・メディチ
当時メディチ家はすでに素晴らしい銀食器で食事をしていた。お嫁入りには500人以上の使用人が。150人のコックも。
こうして、フランスでの料理が造り上げられたのだった。
カテリーナは11年もの間子供が生まれなかったが、後に10人もの子宝に恵まれた。
後に哲学者ノストラダムスの予言通りに、王は馬上槍試合で死亡。そのために喪服を着ています。長男が王位に。
王は結婚前から20歳年上のディアーヌ・ド・ポワティエを愛妾としていた。
これらのことは、4年前のフランスの旅でロワール地方のシュノンソウを訪れた時、お話したのでした。

◎カテリーヌは、香料専門の家臣を二人連れていった。一人はコシモ・ルギエリでカテリーナの香料やコスメテックを専門に作り、もう一人のルネはパリにイタリアの香料専門店を開いたのだった。カテリーナは今日の香水王国になる基礎をつくった人でもある。
プロヴァンスのグラースにシグノル・トバレリをつかわし香水工場を作らしたのもカテリーナである。
グラースは皮革業で知られたところ。皮革の匂い消しに香料はうってつけ。16世紀にグラースに始まった香料工業は17世紀には大成功を収めるようになったという(『愛のポプリ』熊井明子著 講談社1980年より)
◎ボーボリ庭園の後で若い頃の絵はないのかガイドさんにお聞きすると、一枚あるかもしれないとのことだった。



左がドゥオモ(サンタマリア・デル・フィオーレ教会)で、右がベッキオ宮殿。
美術館はコの字型になっていてこうして通路からこれらが眺められる。




1345年に再建されたフィレンツェ最古の橋ベッキオ橋がアルノ川にかかっている。
1559年、コシモ一世は、公国の役所(ウフィツィ)を一つに集める計画を実行するために、
後期ルネサンスを代表する建築家ジョルジョ・バザーリに建築構造を託した。
彼はシニョリア広場からアルノ川にかけての広大な場所に、ベッキオ宮に隣接する聖ピエロ・スケラッジョ教会をそのまま取り込み、1565年にはほぼ完成した。
廊下のように見えるのはバザーリの通廊(ガイドさんは回廊)とよばれ、ベッキオ橋の上を通りピッティ宮へと1kmも続いている。
一方ウフィツィからベッキオ宮までも続いている。
1200年代の都市構造であるこの町の中心部に、ウフィツィの建物を組み込むために、バザーリは細心の注意を払ったようだ。
◎周囲の建物、屋根は赤く壁は黄色は守られている。

◎このメディチ家の専用通路の橋は、映画「眺めのいいへや」に登場するようなので、再度鑑賞してみたい。





 ミケランジェロ 「聖家族」 1504年

「ドーニのトンド(ドーニから頼まれた円形作品)」とも呼ばれる。
画家、彫刻家、建築家としてあまりにも有名なミケランジェロ
法王ユリウス二世の依頼で、バチカンシスティーナ礼拝堂に描かれた大フレスコ画は、ほぼ一人で描いたといわれ、わずか4年の間のことだった。





ルーベンス 「アンリ四世のパリ凱旋」


数年前ベルギーのアントワープにあるルーベンス美術館を訪ねたことがある。
かつては邸宅そして工房だった。庭にはハーブや花が咲き誇っていた。



パウロ・ウッチェロ「サン・マローノの戦い」 1456年頃


遠近法の研究を行ったパウロ・ウッチェロ。
他の有名な二つの戦いの絵は、パリのルーブル美術館、ロンドンのナショナル・ギャラリーに保管されている。
今回旅に参加されたMさんが、この絵が見たいとおっしゃり、急遽観ることが出来た。
ロンドン在住だったMさんによると、ロンドンでは、子供たちが遠近法について学ぶ授業の一環としてウッチェロの絵を観に出かけるとのこと。



マゾリーナとマサッチョの合作「聖母子と聖アンナ」1424年
左に見える香炉により、絵に動きが出てきた。
香炉は振って中の香りの煙を漂わせる。




第三廊下には、古典のすぐれた彫刻作品が展示されています。
その正面突き当りにあるバッチョ・バンディネッリの「ラオコーン」
ヘレニズム時代の原作をもとに、16世紀になってバッチョが、複製した。

右に少し見えるのがイノシシ。
複製がフィレンツェの街中にあり、そのイノシシにさわると幸せになれるとか。